2024年6月6日木曜日

死が気掛かりな時読むページ

 死が気掛かりでならない、居ても立っても居られない。なので調べておきました。
 (これはうつ症状の典型です。神経の病気なので無駄に心配する必要がないこと等を調子が良いと忘れるので書き留めておきます)
 死が近くとも終活が全てではありません、ここで整理して生きる時間を有意義に使いたいと思います。

 いとおしい「生命」を妨げたり傷つけることは、容易なだけに罪深いこと、弾劾されるべきことだと訴えます。


1.死が遠くないと実感した

 他人の死は身近にも経験してきましたが、自分には先のことと思ってきました。死はその時対応すればよいと思っていました。生きているのが当たり前、生きることの方が重要と思っていました。そのうち死を忘れたかのようになっていた点に落とし穴がありました。
 今回の事件で半年間、毎日、死を感じ必死に耐えてきました。その結果うつ様の症状によって死が気掛かりでならなくなりました。今にでも身近な人を亡くし自分も長くないと考えるのがスタート地点になってしまいました。遠からず死ぬのに生きるということへの指針や意味を失ってしまいました。症状が出ると今実際にできていることまで近々できなくなる連想をしてしまい、できなくなる準備を先に考える等、思考も生活もが異常になってしまいました。将来のことを考えると早まり過ぎの結論を出してしまうなど、死を忘れていた反動でバランスを欠いた結果となりました。

 病気や死はいつでも起こりえる、そうならないように行動して生きる。細かい未来予測は困難なので、備えは金銭や人間関係など大ざっぱに対応しておく。
 今はこのように考えています。

 死について考えてしまう際、知っておいた方が何かと良いと思い以下に書き留めておきます。


2.楽な逝き方メモ(即死でない場合)

 施設へ意思を伝えておくと良い(終末期には寿命が縮んでも構わないから苦しまないよう依頼)。

(1)尊厳死:病が進んで治らない場合、終末期に食事を口から採れなくなります。こうなったら1週間で死ぬんだと覚悟し、チューブ・胃ろう・点滴すべて無しで尊厳死を選択できるそうです。まず脱水症状が現れます、ここを乗り越えると脱水による傾眠が起こり意識を失う。あとは炭酸ガスナルコーシスも手伝って安らかな顔で逝くそうです。脱水なので体が枯れたようになるそうです。
 食事を口から採れなくなるのは(そしゃく・嚥下の障害でなければ)体が水分の処理をできなくなっているからだそうです。この状態で無理に水を飲んだり点滴をすると水を排出できなくなり、むくみ、腹水がたまり、痰が出て吸引が苦しい。少しだけ延命できますが、その間苦しいだけだそうです。遺体から水分が漏れ出ると不衛生です。

(2)緩和ケアを依頼しておくと(対応している医療機関では)終末期にモルヒネ類の投薬をしてくれます。安楽死(法律により不可)を願っていた私の父はこう言ってくれました「もう死ぬのに少しも苦しくない、死ぬのがこんなに楽だとは」。その後、多臓器不全が進行して意識を失い、心停止。
 但し点滴から投薬しますので、遺体はむくんで水分が漏れ出していました。

(3)頼まなくても鎮静をされることがあります(鎮静剤によって苦痛を緩和するか、必要な場合は眠らせます)。家族や本人の同意または推定意志が認められ、患者がせん妄・疼痛・呼吸困難・吐き気等々で耐えがたい苦痛(推定含む)があり、治療が無効なとき(または一時的な処置として)行われる場合があります。

 まとめ:死の苦しみは、傾眠から昏睡となり意識を失ってから死ぬので、闘病中の苦しみが主体となるようです。闘病中はたいてい病気を治したいと必死なので誰もが体験する苦しみで終わるものと推察します。


3.死の覚悟は今から気にしなくてよいだろう

 肉体の限界を感じたとき、自ずと死を悟り覚悟が決まるものと思います。後期高齢者や入院患者を見ていてそう思います。元気なうちに覚悟など自分にはできないと考えています。無理に覚悟しようとして努力すると、やってみるのも良い体験ですが、生きている時間を無駄にしかねません。
 死の覚悟はその時になれば自然にできるので、その時まで準備しなくてよいと思います。(できる人はどうぞ)

 終活は別です。できるうちにしておきましょう。


4.死んだら何も無くなるのか、魂や死後の世界はあるのか

 諸説ありますが、私にはわかりません。社会秩序のために作られたものもあると思います。

 死にゆく人に問い合わせを行ったり脳の特定部位に刺激を与えるなど研究はされていますが、それが脳内だけのことなのか死後の世界に関係しているのわからず、更にその後のことは「見てきた」「話ができる」という人の話だけなので科学的手法が適用しにくいです。ただ何を信じるかについては生前からできることはあると思います。研究者には脳内事象以外の何かがあるという直感・洞察を持つ人もいるようです。
 統計によると信仰を持つ人と持たない人の比較で、若い人は信仰によって死の恐怖が減る傾向にありますが、高齢になるほど死の恐怖を感じる傾向が信仰を持つ人の方が僅かに多い傾向にあるそうです。信仰の有無にこだわらない方がよさそうです

 自分の考える死後の有無やイメージが自分で納得できればよいのだと思います。イメージを持たなくても良いと思います。一度立ち止まって考えたら、後は今を大切に生きるのが良いと思います。


5.思秋期の生き方

 40~60代が思秋期にあたるそうです。私の場合は体を大切にしてきたので大きな衰えを感じることがなかった結果、考え始めるのが遅くなってしまい遅い思秋期または秋ただ中で考えを整理しています。

5.1 体の変化

 老化によって生殖能力が減退してゆきます。男女とも男性ホルモンと女性ホルモン(あと成長ホルモン他)を分泌しており、ピタリとホルモンが止まるわけではありません。減少し、バランスが変わり、体調や精神活動に影響が出るのだそうです。更年期と同じです。  影響を減らすことはでき、規則正しい生活とバランスの取れた食事に適度な運動が有効です。精神活動も活発に行った方が刺激になって良いはずですから、老け込まず秋を知りつつ若い気でいることができればと思っています。

 さて、老化という肉体の変化に適応する必要が生じますが、老化によって適応力が弱まっているので若い時とは大違いです。アイデンティティーの変更が迫られるだけでなく、適応力が低下するため将来の不安(病気や金銭的余裕、果ては日常生活まで)が一気に増してきます。久しぶりに会った人が老いていることにショックを受けたり、知人の葬儀で自分も近いのだと思えてきたりするようになります。
 健康なうちは仕事や社会貢献して若い時と同じような満足感が得られるので、できるうちに趣味も含めてやりたいことをやっておきたいと思います。しかし将来必ず訪れる死を意識すると、特に金銭的な目的の活動は虚しく感じてしまいます。普遍的な価値、家族や地域とのコミュニケーションが大事だなと感じます。死を前にして生きることへ続きます。

5.2 死を前にして生きる

 参考にした心理学者カール.グスタフ.ユングはフロイトの弟子で、心に意識できる部分と意識できない部分(無意識)があるという出発点から独自の研究をしていました。心の世界を曼荼羅のような図形を使って描いているとき、無意識の中に無意識を統合する中心的な存在:自己(self)があるという事に気付きました。そして自己はより高い存在へ向かう力を持っていて、若い力で自己実現に進みすぎ た自我(ego)が破綻し生きる指針を失ってしまっても、無意識の中の自分(自己)の声に従って生きる、自分らしい人生を歩む、という道に光が射すと考えたそうです。

 不治の病などにより、今まで行っていた将来への投資活動が無意味化し生きる時間までが失われることがあります。誰しもこの事態に(死ぬのにそれでも)生きるという ことの意味を見失ってしまいます。自己実現の指針が実は他者の望みであったのに対し、今まで気づかなかった自己の望みに傾聴し、将来よりも今を、自分らしく生きるという 生き方によってより高い存在へ向かうことができるだろうと期待されます。 (この意味で自己(self)の目的を実現することを自己実現と訳されているようで、よく言われる自己実現は自我(ego)のもので主語が違います)

 まとめ:若いころは周囲から期待されることを努力して認められ承認欲求や達成感あるいは収入を得ていました。一人で死んでゆく場合、強い信仰や死生観のある人は違うかもしれませんが、私などは死が近くなると何をしても死ぬ、希望がない、虚しいと思うでしょう。それでも心の奥からの声に傾聴し、無理せず我慢せず自分らしく生きるスタイルがあり、そうすることで意外にも、より高い存在へ自然に導かれるという事になるようです。

 そうなる前の老人人生設計も必要ですので公的な支援制度について記載します。


6.支援の活用  今後、独居老人が高齢者の2割に達する見込みだそうです。生活不安の最終兵器として老人ホームがありますが、これだけ独居老人が増えると入居可能な人はよほど要介護度が高いか金銭的余裕があって民間の施設に入ることのできる人になるでしょう(自治体によって異なり要介助から要介護4以上など)。私にとっても何ともしがたいことです。

 地域包括支援センター(要介助まで)、支援施設・事業者(要介護)、役所の福祉課などへ問い合わせることで色々な支援サービスを知ることができます。ですが入居者を増やさないようサービスを利用して自宅でできることはやってくれ、という事です。  お風呂に入れなくなったらデイサービスやショートステイ(介護保険外)、買い物に行けなくなったら買い物サービス、食事を作れなくなったら食事を作るサービスやお弁当のサービスがあります。簡単な介護ならサービスに来てくれます。

 しかしサービス可能な事だけを提供していますので「十分」とは言えないと感じます。不十分なところは家族などの支援があって成立しているのだと思います。つまり家族の負担を減らすもので、独居老人に対しては不足な場合を心配します。施設入所の条件緩和を加味してくれることを期待しますが、高齢者人口増となると厳しくなるはずです。

 病院へ行く場合は、まだ調べていませんが最終手段は救急を呼ぶことが考えられます。  適応力がなく移動手段のない高齢者が通院や入院・施設入所で困ると思います。特に身元保証人が必要な点が今後検討されるそうですので期待しています。こうなったら自力でできないのだから他力に頼むしかありません。死なすわけにいかないので特例として対処してくれているのが実態だと思います(つまり何とかしてくれることを期待するしかない)。


7.就活と目指す姿

 以上をまとめると、死は今から怖がるほど苦しまずに済みそうですし、意思を伝えておけば適切に処置してもらえそうです、信仰も死の覚悟もこだわる必要は無さそうで、準備は終活程度で大丈夫なようです。
 ただ独居老人の支援には限界があり、現在対策中という状況に期待するのみです。

 死が目前という人でなければ、自分らしいことを楽しみ、近しい人々と仲良くし、老いても明るくなど、とどんな老人になりたいか目指す姿を考えていきたいと思います。
 死が目前の場合、自己の声に傾聴し残された今を自分らしく生きること、醒めた目でより高い存在になることを覚えておきたいと思います。

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